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近く隣人の台湾
台湾を大きく一周する旅をした。

日本の風景とよく似ていると思った。
台湾は海に囲まれ台風もあり黒潮もあり、大きな山脈が南北に走る。
ヨーロッパなどの石灰岩のごつごつとした岩肌の山ではなく、
緑豊かな山々であり、平地では水を張った水田が続く。畑もみどりに覆われており、
この風景は日本に似ている。


宝覚寺の弥勒大仏

本堂、七重の塔のほか、上の写真の約30メートルの高さの大きな大仏、弥勒大仏像である。
大仏の内部は台湾民族文物館になっていて、大仏のおへそが窓になっている。
大仏像は、にっこりしたふくよかな布袋様の姿で人気がある。
特に、ここには戦前に亡くなった日本人の遺骨を集めた日本人墓地もある。
日本仏教会から、霊を慰め、友愛を深めるために観音像と友愛鐘楼が贈られたという。

ここには戦前に亡くなった日本人の遺骨を集めた日本人墓地もある。


「中部地区 日本人遺骨安置所」

戦前台湾中部で亡くなった日本人14000柱の遺骨をここに収納し供養している。
その納骨堂に次のような説明文が日本語で書かれている。
「第二次世界大戦までに台湾に住んで亡くなった日本人の遺骨を納めてある。
日本人は祖国に引き揚げたが、遺骨まで持ち帰るゆとりもなかった。当時残った野沢六和氏が多くの日本人の遺骨を集め、
ついでは台湾全土を巡り採骨行脚した。そして10数年にわたり、約2万柱の採骨を昭和35年にやっと終えた。
昭和36年秋に当時の日本大使館の肝いりで採骨の地域別に台北中和寺と台中の宝覚寺、高雄の公墓三か所に分けて納骨した。」と


日本人の母を持つ鄭成功。彼をを祀った延平郡王祠

台湾を 占領していたオランダ人を破った鄭成功の功績を讃えて建てられた。
鄭成功は日本人の母、田川松と福建省出身の鄭芝龍との間に日本で生れ、
7歳のときに、父の故郷である福建省へ移った。
その後、清王朝が明王朝を滅ぼそうとしたときに、鄭一族は明側に味方する。
しかし、1659年南京で清王朝に負け、体制を立て直すため台湾に逃れた。
そして、台湾南部を占領していたオランダを追放して台南を政治の中心と定めた。
法律を定めたり学校を興したりして貢献した。息子達により鄭一族の台湾統治は23年間続いた。

日本統治時代には、日本風に改築され、開山神社と改名されていた。
第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、コンクリートで中国北方式建築建て替えられた。


龍虎塔のある蓮池譚(レンチタン)

龍虎塔には、2つの口がある。龍の形をしたトンネルの入り口と、虎の形をした出口。
中国では 「龍の形をしたトンネルから入り、虎の口から出る」と、悪運を幸運に変えわれると言われている


神秘的な蓮池潭(レンチタン)

 「蓮池潭」は大きな池で、いくつかの中国らしい独特な建物が湖面に映り、神秘的な景色をかもしている


侵食によってできた太魯閣渓谷(タロコ渓谷)


 侵食によってできた大理石のタロコ渓谷は、20kmも続くとのこと。
台湾は、約4~500万年前に、フィリピン海プレートに属するルソン弧とユーラシアプレートの衝突により
ユーラシアプレート上の堆積物が圧縮、隆起して、序々に姿を現した。
そして 今でも続いている隆起、と侵食により、タロコ渓谷ができた。


南国の豊富なフルーツ

こマンゴー、パイナップル(特にうまい)、パパイヤ、バナナ、スターオフルーツ、シャガトウ、
ドラゴンフルーツー、ワックスアップルなど多彩
スターフルーツは、ぶつ切りにすると、星状になる果実でさほど甘くないが、酸味がある。
シャガトウは、釈迦の頭に似ていることから名前がついた果実で、独特の甘い香りがあり、すごく柔らかい。
ドラゴンフルーツーは赤色で、さくさくとした歯ざわりで、甘さは控えめ
ワックスアップルは、あっさりとした甘すっぱさでしゃきしゃきした歯ざわり


夜市(よいち)

夜市(よいち、よるいち)は、主に中華圏や東南アジアを中心に存在し、
夕方から真夜中に営業する屋台、露店、雑貨、売店、移動販売などの集まり。
台湾では、昼間の暑さを避けて比較的快適な夜に人々が外出するため夜市が発展したというが、
今では夜市は重要な観光資源となっている。


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