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インドの国土は日本の約9~10倍であり、
人口は日本の10倍近くの12億人である。

その人口の3分の2が農業で生計を立てているが、
製造業やサービス業が急速に成長しており、向こう10年間程で
中間層人口が7割になると言われ、将来性ある国と思われる。

珍しいことに、何故か、インドの紙幣には18の言語が羅列されて印刷されている。
その理由を聞くと、公用語(ヒンディー語)の他に州の公認言語が21もあるとのこと。
2016.12.06


インドの首都デリー 昔ながらの街並み

インドの首都デリーの街並み
道路には、オートバイ、自転車、リヤカーを引っ張る自転車、人々など
無秩序に行きかっている。この中を車も走る。我々日本人は運転出来そうにない。


ラージガード(Raj Ghal)

マハトマ・ガンディーがヒンドゥー至上主義者に1948年暗殺された、火葬された場所で、
黒い大理石には、「おお、神よ」と書かれているとのこと。


フマユーン廟(Humayun's Tamb)

第二代皇帝フマユーンの妃が亡き夫の為に1565年に建立。

周囲の庭園は手入れが行き届き、中央にドームがあり、左右対称の廟である。
白と赤のコントラストは「白大理石」と「赤砂岩」によるもので、
四方のどこからも同じ形に見える。( 1993年に世界遺産に登録)


クトゥブ・ミナール(Qutb MInar)

インド最大の塔(ミナレット)--1993年に世界遺産に登録
奴隷王朝がヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建て、高さ72.5mの五層の塔で、
外壁にはコーランの文句を図案化した彫刻が刻まれているそうだ。

塔の北側には、これよりももっと高い塔を建てようとして失敗したアラーイーの塔の基部が残っている。

中庭には4世紀のグプタ朝時代に造ったという鉄柱が残っている。
それは、純度100%に近い鉄で造られたとされ今でも錆びてないからだという。


アンベール城(Amber Palace)


16世紀に築城さてたアンベール城は都市機能を備えており、
遷都されるまでの150年間に増築改築が重ねられ、堅固な城壁に囲まれて建っている。

その外観に比べ、城の中はイスラム様式の影響を強く受け優美に造られている。
壁面に幾何学模様のモザイクがほどこされでおり美しい。

このアンベール城は、小山の上にある為、急坂を麓から登ることは大変である。(下の写真参照)

アンベール城へは像のタクシーで登城

このアンベール城には、「名物の象のタクシー」にゆられて(大揺れだが)城に登った。
この写真は、城に着いて下を見る景色である。
一見四角いものが多くあるが、よく見ると像のタクシーである。
写真尾右寄りにある曲がり角で、上り下りの像がひしめき合っている。


天文台ジャンタルマンタル(Jantar Mantar)

1728年~1734年に作られた天体観測のための施設で、写真は時間を測る日時計。
お椀状の建造物にはメモリが付けられており、太陽の影の位置を読み取りると、
(その日の時差を加味すれば)何時何分まで分かる。

年月日の階段状の傾斜は北極星を指しているとのこと。
同じ敷地内に、高さ27メートルの日時計もあり、驚きである。


主要道路沿いの木々に囲いが!


これは何だ! 奥日光などに鹿の食害を避けるための囲いと同じで、牛に食べられないようにしている。
高速道路沿いの木々を保護している。

道端の牛

町中や道路上で牛を見かけ、びっくり。
インドでは牛はシヴァ神の乗り物として神聖視されている。
これらの牛は野良ばかりではなく、ちゃんとした飼い牛もいるそうだ。
餌代を浮かすため放し飼いにしているだけなのだ。

インドの牛は群れでの移動ではなく単独で動く習慣がある。
そして、どこに行って草を食べても飼い主の牛舎に戻って来るという。

道端や中央分離帯などの草を食べている。飼牛は首輪を付けていると現地ガイドがいっていた。
それにしても野良牛も多いがそのほとんどはは雄である。


ファティプール・シクリ の 「ディーワーネ・ハース(Diwan-i-Khas)」

「ファテープル・シークリー」とは勝利の都シークリーという意味で、
幾何学的に建設された都市遺跡で、中心部には、宮廷地区とモスク地区がある。
ほとんどの建築物は赤砂岩で建てられているので赤色。
写真の建物は「ディーワーネ・ハース(Diwan-i-Khas)」で、皇帝の私的な謁見のための建物。

宮廷地区には他に
①皇帝と国民が接する建物「ディーワーネ・アーム(Diwan-i-Am)」
② 壁のない5層の建物「パーンチ・マハル」  などがある。


タージ・マハル(Taj Mahar,世界一美しい墓と言われている)

タージ・マハル ~~  インドを代表する美しい建築美
タージ・マハルはムガル朝第5代皇帝シャー・ジャハーンによって1654年に建てられました。
「白亜の宮殿」と称されることがあるが、宮殿ではなく、彼の愛妻ムムターズ・マハルの「お墓」。


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